中谷宇吉郎の略歴
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●中谷宇吉郎という人 「雪は天から送られた手紙である」という言葉で知られる中谷宇吉郎(1900-1962)は、雪氷学の基礎を築いた物理学者です。 1936年に世界で初めて人工雪の結晶を作ることに成功した宇吉郎は、62年に他界する直前まで、 雪・氷・霜・霧・・・と変化する水のふるまいを追い続け、北海道の十勝岳からグリーンランドの氷冠 へと駆けめぐりました。 楽しむことの名人は研究のかたわら美しい書画を幾枚も描き、「雪」をはじめ多くの随筆を書き残しました。その生涯はまさに<地球とあそぶ達人>と呼ぶにふさわしく、20世紀の日本が生んだもっともユニークな科学者のひとりでした。 |
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1900(明治33)年 0歳 7月4日 現在の石川県加賀市片山津温泉に父・卯一、母・てるの長男として生まれる。 生家は呉服・雑貨の店。 1918(大正7)年 18歳 旧制小松中学校卒業。 |
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1922(大正11)年 22歳 |
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1928(昭和3)年 28歳 文部省在外研究員としてロンドンのキングスカレッジに留学。 リチャードソン教授の指導を受け長波長X線の研究に従事。 |
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1930(昭和5)年 30歳 アメリカを経由して、欧州留学から帰国。 北海道帝国大学理学部助教授として札幌に赴任。 1931(昭和6)年 31歳 学位論文「各種元素による長波長X線の発生について」(Proc.Roy.Soc.A.に発表) |
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1932(昭和7)年 32歳 北海道帝国大学教授となり、物理学第三講座を担当。 十勝岳で天然雪の結晶の研究を開始。 1936(昭和11)年 36歳 3月12日、常時低温実験室で世界初の人工雪結晶の作成に成功。 3月14日には六花の結晶が出来た。 10月、人工雪を天覧に供す。療養のため家族とともに伊東温泉に居を移す。 |
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1938(昭和13)年 38歳 最初の随筆集「冬の華」出版(岩波書店)。 岩波新書「雪」を出版。 療養のかたわら、雪の論文をまとめる。 原因不明の病気が、肝臓ジストマとわかる。 1939(昭和14)年 39歳 治療が完了し、帰札。雪の研究を再開。 映画「雪の結晶」撮影開始。7月完成。ワシントンの雪氷委員会をはじめ、米国の各地で上映され好評。 凍上研究にとりくみ始める。 |
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1941(昭和16)年 41歳 ニセコアンヌプリ山頂付近で着氷の観測開始。 「雪の結晶の研究」に関して帝国学士院賞を受賞。 11月 北大低温科学研究所が発足。 |
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1942(昭和17)年 42歳 北大低温研の主任研究員(純正物理学部門)となる。 1945(昭和20)年 45歳 終戦。 ニセコの着氷観測所を基にして農業物理研究所を発足させ、所長となる。洪水、凍土、融雪などの研究。 |
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1948(昭和23)年 48歳 科学映画「霜の花」が完成し、 昭和23年度朝日文化賞を受賞。英語版はオスローの国際雪氷委員会総会で好評。 1949(昭和24)年 49歳 雪研究の集大成「雪の研究ー結晶の形態とその生成ー」(岩波書店)を刊行する。 岩波映画製作所の前身であるプロダクション「中谷研究室」発足。 |
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1952(昭和27)年 52歳 雪氷凍土研究所(SIPRE)の基礎研究員となり渡米。氷の物性の研究を2年間行う。 1954(昭和29)年 54歳 ハーバード大学から"Snow Crystals"を出版。 1956(昭和31)年 56歳 ハワイ・マウナロアの山頂で雪の凝結核観測を行う。 |
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1957(昭和32)年 57歳 グリーンランド氷冠の研究に着手。その後、60年まで毎年グリーンランドに行き、氷の物理的性質の研究を続ける。 1959(昭和34)年 59歳 ウッズホール研究所で、「降水の物理」国際会議出席。グリ ーンランドからの帰途、北極海の氷島T3を視察。 |
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1960(昭和35)年 60歳 グリーンランドに出張。途中アラスカのメンデンホーン氷河を視察。帰国後、前立腺がんの手術を受ける。 1962(昭和37)年 61歳 骨髄炎のため4月11日、東大病院で死去。享年61。 (写真提供:U.N.Limited) |
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